このKさんはタイに何十年も住み着き、
ジュライホテルで沈没生活を送っていたが、
一度も名所観光をした事がない人だった。
ある日、ジュライの1階ロビーで
沈没組が揃ってウダウダと話をしていると、
珍しく日本人の若い女性が宿泊しに来た。
<ジュライホテルに泊まった事がない人に説明>
ジュライホテルは1995年に閉鎖されるまで、
多くの日本人を魅了してきた安宿だ。
1階はだだっ広いロビーというか駐車場になっていて、
その奥の方にレセプションがあり、
誰が名づけたのか通称「伊東四朗」(タイ人従業員)が座っていた。
本人もその名前が気に入っていて、自分で
「ITOSHIRO」と書いた張り紙を
閉鎖後のジュライの壁に貼っていたりしてた。
宿泊客の99%は日本人男性で、
レセプションの黒板の部屋番号の欄にも
日本
日本
日本
日本
日本
日本
・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、永遠に「日本」と漢字で書かれてあった。
(宿泊者の国籍を表示したものだ)
なかには変わった沈没ファランもいて、
一番目立っていたのは
牛乳ビンの底みたいなメガネをかけた
バタービーンみたいな体形のオランダ人だった。
(名前は忘れた)
このオランダ人は日本が大好きなのか、
日本人にも愛想よくするし、
メシもよくスワニー(北京飯店)で食っていた。
*ちなみにスワニーはまだ営業している。
数年前に日本のTV番組の取材で、
山田まりやが北京飯店に来て
「まりや丼」というメニューを作っていった。
この時の「まりや丼」の貼り紙は
今も貼り付けたまま現存している。
さて、話は戻って、
この珍しい日本人女性の宿泊客が
「あなたたち、毎日毎日ウダウダと、
こんな所で喋ってばかりで・・・
ホントに何やってるんですか?!」
Kさん 「あ?」
「昼寝→女→メシ→女→飲み→女・・・
最低ね!!
たまには観光にでも行ってきたらどう?!」
「ワシは観光なんか、一度もしたことがない。
王宮もワットアルンもワットポーもな!」
「なんで毎日、女は買いに行くクセに、
観光はしないのよ?!」
「それはな・・・」
つづく・・・